半年間の東京暮らしの中で
20℃越えの晴天、東京。
春の陽気で早咲きの桜が満開だ。
冬の気配は吹く風にわずかに残るほど。
秋学期(8月の終わり)から来た留学生たちは、半年たち、いま日本をどのように思うのか?
日本で暮らし、”居場所”はできただろうか?
今日は自分の居場所について話してもらった。
マルゴロさんは、この授業が居場所の一つだと言ってくれた。
ほかの日本語の授業ではあまり学生と話をする機会がなく、日本人学生の友達は作れなかったそうだ。
その代わりにTAとはよく話すようになったと言っていたので少し安心だ。
テラザスさんは、一緒に新宿や六本木などに遊びに行ける友人ができたようだ。
場所としてはあまりリラックスできるところは見つけられなかったが、自転車に乗っている時は気持ちが良いと話した。
ディンさんは、今日は病気でとても体調が悪そうだった。
けれども一人で部屋でこもっているのはつらいからと、来てくれた。
ディンさんは心理学を専攻しており、居場所について、その場所でのアイデンティティが確立して初めてできるものだと教えてくれた。
別の日本語の授業では、はじめは(自分が)近寄りがたい存在だったが、周りが慣れ始め、授業を一緒にやっていくうちに仲良くなったと話した。
ヒリさんは、寮や地域活動先の人たちと仲間になれた実感がして、日本が居場所になったようだと語った。
寮では定期的な清掃や、ときにはパーティーが催されて充実しているし、
地域活動では、仕事に慣れてくるとグループに一体感が生まれ、そこに安心感があると話した。
話してもらった後は、それをすぐに文章にしてもらう。
わたしたちのプログラムでは、日本語の文をたくさん書いてもらう。
学んだことを体験したこと、感じたことをアウトプットする、文字として形に残すことを重要としている。
振り返ることができるからだ。
日本への順応速度はそれぞれ違うが、それでも来始めたころより、うんと馴染んでいる。
自分に合ったスタイルで自分の居場所を見つけている。
なによりこのプログラムを居場所の一つと捉えてくれているのは、冥利に尽きる。
ミドルベリー大学としての冬学期の授業は今日で終わり。
これから日本語で取った授業の期末試験が徐々に始まる。
健闘を祈る。